しにたい人へ生きたい人へ
しにたい人へ生きたい人へ
#はじめに
ぼくは病んでいない。
もし、貴方から見て、病んでいたと捉えられても、ぼくは病んでいない、とい言う。ぼくの、こんな浅はかでどすぐろい感情が、病んでいるなんて、そんな訳ない。
秒速で病んでる人が嫌われてしまわないように、ぼくはそうするべきだと思ったんだ。
賢明な判断だろう?
メンヘラとかヤンデレとか良くわかんないし、何がどう違うのか、ぼくがなにに当てはまるのか分からない。
ただ、それらに当てはまっていると公言する人を見るのは好きだ。
単純に羨ましいと思ってみている、ぼくもなにかに当てはまり続けていたい。
日によって、しにたいとも思うし、生きないとともおもう、感情が一瞬でプラスからマイナスまで変わることだってあるから、何が正しいのか分からないし、どこまでが普通なのかもわからない。
狭い世界に生きているとよく錯覚してしまう。
世界は広いのに、常にはみ出さないように収まろうとしてる。何に収まりたいのか分からないのに。
しにたい人が、生きたいと言っていいのだろうか、そして、また、しにたいと言ってもいいんだろうか。
「しにたい」と「生きたい」の言葉を逆にして当て嵌めた言葉なら心配されるのに、なんでこれは時に批判を浴びる、の、?
#しぬことについて
事故死がいい。
通り魔とかの、爆発的な感情の
対象でありたい。もちろん、
ケータイを初期化した跡にね。!
#生きることについて
魂を削って、何かを作りたい、
生きている中でも、
一番生に近いうちに。
生きていたいと思う、一瞬だけ、
強く、強く、
あとはどうだっていい、もう、なんでもいい。
ほんとうになんでもいいんだ。もう、ぼくなんか、そこまで好きじゃないあんぱんでも食っていればいい、大好きな干し芋を目の前に置いて。
#おわりに
時は残酷に過ぎるのに、時計の針の音はなんであんなに心地いい理由、知ってる?
知ってたら、教えてね、ぼくが生きているうちに。
ぼくより